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神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)1670号 判決

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

熊野勝之

金子武嗣

秋田真志

被告

神戸市

右代表者市長

笹山幸俊

右訴訟代理人弁護士

色川幸太郎

石井通洋

中嶋徹

右中嶋徹訴訟復代理人弁護士

高島健

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実および理由

第一請求の趣旨

一被告は、原告に対し、「広報こうべ」第一面に、別紙(一)記載の仕様、内容の「謝罪文」と題する文書を一回掲載せよ。

二被告は、原告に対し、金一五〇万円および内金一〇〇万円に対する昭和六一年三月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告外一名の陳情が、被告議会委員会で審査された際に、被告議会議員であり右委員会委員である公務員の故意または過失による誹謗中傷行為により、原告の名誉が違法に毀損されたとして、また択一的に同公務員が故意または過失により、委員として陳情を誠実に処理すべき職務上の義務に違反して右誹謗中傷行為に及び、その結果本件陳情が誠実に処理されないと絶望させ、原告(ら)をして、本件陳情の取下げを余儀なくさせ、原告の請願権が違法に侵害されたとして、公共団体たる被告に対し、国家賠償法による損害賠償を求めるとともに、名誉毀損を理由とする名誉回復処分として謝罪広告を請求した事案である。

一争いのない事実

1(当事者)

被告は、普通地方公共団体であり、訴外吉本泰男(以下「吉本議員」という。)は、昭和六一年二月二八日当時、被告議会議員であり、被告議会文教経済委員会(以下「本件委員会」という。)の委員である公務員であった。

2(本件陳情に関する審査の経過)

(一)  昭和六一年二月四日、「神戸市の消費者行政を正す会」(世話人代表者田村和子)と「『め・め・め通信』発行人ぐるーぷ」甲野春子(原告)の連名により、「婦人会館の運営等に関する陳情」と題する陳情書が神戸市議会議長宛に提出、受理され、同市議会は、これを陳第二八三号陳情(以下「本件陳情」という。)として本件委員会に付託した。

(二)  昭和六一年二月二八日(午前一〇時〇三分から同一一時四五分まで)、神戸市役所本庁舎二階の西会議室において、委員全員(一二名)出席のもとで本件委員会が開催され、同日の審査の具体的経過は、別紙(二)記載のとおりであった。

(三)  被告議会では、各委員会における議事の傍聴を許しているので、同日本件委員会は、ほぼ満席に近い約三〇名の傍聴人があった。

二原告の主張

1(吉本議員の発言行為の不法行為性)

原告は、昭和六一年二月二八日、本件委員会における本件陳情に関する審査を傍聴していたところ、吉本議員は、委員としての職務を行なうについて、故意または過失により、原告を指向して、「この陳情を出した田村さんと甲野さんには六、七年前に会った。その時も今と同じことを言ってきて三〜四時間話し合った。この人達は足を組んでたばこをくわえて、文句ばかりを言い、話してもとても通じる方じゃないと絶望した。それ憎しの感情で言い続けている女の執念の深さに感心している。こういう陳情はこの委員会にはなじまない。迷惑だ。」等の発言をして誹謗中傷行為(以下「本件発言行為」という。)を行ない、それによって原告の名誉を違法に毀損した。

2(請願権侵害)

また、吉本議員は、故意または過失により、委員として陳情を誠実に処理すべき職務上の義務に違反して本件発言行為に及び、その結果本件陳情が誠実に処理されないと原告(ら)を深い絶望感に陥れて本件陳情の取下げを余儀なくさせた。そして、陳情は、実質上請願と変わりがないから、原告は、本件発言行為により、原告の憲法上保障された請願権を違法に侵害されたものである。

3(損害)

(一)  本件発言行為による名誉毀損および請願権侵害によって、原告の被った精神的損害を慰謝するには一〇〇万円が相当である。

(二)  原告は、本件訴訟代理人熊野勝之に本訴の提起、追行を委任し、その着手金、報酬を報酬等基準規程に従って支払う旨を約し、その額はそれぞれ五〇万円(合計一〇〇万円)が相当であるから、その範囲内である五〇万円が前記不法行為と相当因果関係のある損害にあたる。

4(謝罪広告)

毀損された原告の名誉を回復するためには、金銭的な賠償だけでは足りず、謝罪広告をもって誹謗中傷の本件発言行為を取消し、陳謝させ、原告の社会的評価を回復することが必要不可欠である。

三被告の主張

1(本件発言行為の原告指向性)

(一)(1)  本件発言にある六年程前の陳情とは、昭和五五年三月七日付の「消費者行政の適正化に関する陳情」と題する陳情書による陳情(陳第一二五号―以下「五五年の陳情」という。)のことであり、その陳情者は、「神戸市消費者行政を正す会」(代表者永井演子、世話人吉本伸子他有志)であった。

(2) また、昭和五六年一〇月三〇日付で「神戸市の消費者行政を正す会」甲野春子(原告)名義の「消費生活相談業務の見直しに関する陳情」と題する陳情書による陳情(陳第三〇六号―以下「五六年の陳情」という。)が神戸市議会議長にされたことがあった。

(二)  吉本議員としては、右五五年の陳情団体と本件陳情団体とは同一ないし酷似した名称であったことに加え、右(一)(2)の陳情書が提出されていたこともあって、両者が同一の団体であると考え、本件陳情団体を五五年の陳情団体であると錯覚したのであり、そのこと自体無理からぬところであった。また、そもそも吉本議員は、右五五年の陳情を受けた時には、原告とは会っていないのである。従って、吉本議員の発言は、五五年の陳情団体の代表らとの応対について述べられたものであって、本件陳情者である原告や田村和子(以下「田村」という。)のことを指してなされたものではない。

このように、右発言は、原告を指向してなされたものではないから、本件発言行為は、原告の名誉を毀損するものではない。

2(本件発言行為の名誉毀損性)

仮に、吉本議員の発言が原告を指向してされたと聴取者らに受取られるものであったとしても、本件発言行為はなんら原告の名誉を毀損する内容を包含するものではない。

(一)  原告がそれによって名誉を毀損されたと主張する発言は、「足を組んで」「タバコをくわえて」「文句ばかりを言い」「女の執念の深さには感心する」という点であるが、これらの「喫煙」、「足組み」、「意見の固執」という行動を原告がとったことを指摘する発言は、それ自体なんら原告の名誉を毀損するものではない。

(二)  本件陳情当時はもとより、現在においても、喫煙という習慣を反社会的ないしは不道徳な行為とみなす社会生活上の基準ないし道徳律は存在せず、喫煙という行為に対する社会的評価は、人格的価値にかかわるものではない。足組みも、人格的価値や客観的・社会的評価にかかわるものではない。意見の固執も人の行動に対する批判的表現にとどまり、社会的評価を貶め、信用を毀損するものではない。女の執念の深さも人の行動に関する世俗的表現であって、社会的人格的価値判断とは無縁である。

(三)  なお、本件発言行為の名誉毀損性を判断するに際しては、「公共の利害に関する事項または一般公衆の関心事であるような事項については、なんびとといえども論評の自由を有し、それが公的活動とは無関係な私生活曝露や人身攻撃にわたらず、かつ論評が公正であるかぎりは、いかにその用語や表現が激越・辛辣であろうとも、またその結果として、被論評者が社会から受ける評価が低下することがあっても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはない」とするフェアーコメント(公正な論評)の法理を斟酌すべきである(名誉毀損の免責法理として主張するものではない。)。

3(請願権侵害について)

本件陳情に関する委員会での審査は、正副委員長が本件陳情者らに会い、その意見を聴いた上で委員会の結論を出すということで終了した。その後、正副委員長が原告と面接した結果、原告(取下げ名義人は田村)が任意に本件陳情を取下げたものであり、本件発言行為によって、取下げを余儀なくされたものではないから、請願権侵害の事実はない。

四原告の反論

1  被告の主張1に対して

吉本議員の発言中には、陳情団体の名称に言及した部分はなく、専ら、「田村さんなり、甲野さん(原告)」という個人名を問題にしており、また、五五年の陳情の際、吉本議員に会ったのは、永井演子ではなく、吉本仲子外であるが、その際、右発言で指摘するような行動をとった者はいなかった。

2  同2に対して

このような状況、文脈と切り離され、抽象化され歪曲化された「喫煙」等を問題にしているのではなく、初対面の人の前で、かつ人にものを頼む陳情という場における原告の言動として、指摘された発言が原告の名誉を毀損したのである。

また、フェアーコメント(公正な論評)の法理は、名誉毀損に該当する行為がある場合に、その免責事由として意味を持つものであって、名誉毀損該当性の判断の際の法理ではない。

五争点

1  本件発言行為の原告指向性

2  本件発言行為による原告の名誉毀損性

3  請願権の侵害性

六証拠〈省略〉

第三争点に対する判断

一争点1(本件発言行為の原告指向性)について

1 前記第二の一の事実および証拠(〈書証番号略〉、検証の結果、原告本人〔第一回〕)によれば、吉本議員は、本件委員会において、原告を含む約三〇名の傍聴人の面前における本件陳情の審査の過程で、普通の音声、話し方で次のような内容の発言をしたことが認められる。「この田村さんと甲野さんいうんですか、この陳情者……この方々の名前をね、こう六、七年ぶりにみるんですわ。それで、半日くらい話し合うたことがあるんです、部屋でね。で今のこれと同じようなことを言ってこられた。……で、その時に僕は思い出しますとですね……」との発言に続けて、六、七年前の状況について、「まあ婦人団体が排他的で全然あのう寄せつけへんちゅうことで、土井と妹尾けしからんちゅう話ですけどもね。あなた方はそのう中に入って一緒になってですね、いかんちゅうのやったら中に入って一緒になぜやらんのですか……もうそれで外で、列外からね、批判だけせんと、中に入って婦人団体をよくするように頑張んなはれということを、七年前か六年前に言ったことをもう一遍言ってあげたいような感じですね……やっぱり中に入って、いかんのやったら自分であのう流れに、泥にまみれてね、流れを変えたらどうですか」と、神戸市婦人団体協議会(以下「市婦協」という。)に対して外部から批判するだけでなく、内部から市婦協を改善するため努力するよう説得すると、「たばこ盛んに吸っておられて、足組みされておったですけれども、このうまあ全然そういう話にはあのう、もう、配慮されないですね、で自分の意見ばっかり言われてきたわけです。……自分はこう、たばこくわえて、極端に言えばね。そして、あの流れはいかんいかんいうて、中には入らんわ、文句ばっかり言うわ……しかも三時間、四時間かけたと思うんですけれども、絶望したわけです。これはもう話してもとても通じる方やないと」と、その時の陳情者らの対応ぶりについて発言した上、その時の説得にもかかわらず、「まだ同じことを続けておられるということに感心をしておる……もう、実は女の執念の深さちゅうんですかね、言い方悪かったら堪忍してもらいたい、感心しておるわけですね」と発言し、最終的には本件陳情について、「特定の名前をあげてですね、それ憎しというような感じで受けれるようなこういうあのう陳情をですね、僕は委員会審議にはなじまないと思うんですがね。」。

2 ところで、名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち、社会的名誉を指すものであって、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価、すなわち名誉感情は含まない(従って、侮辱は名誉毀損に含まれない。)ものと解するのが相当であるから(最高裁判所昭和四五年一二月一八日第二小法廷判決、民集二四巻一三号二一五一頁参照)、誰の名誉が毀損されたかどうかについての判断は、加害者の意図や被害者の主観を基準にすべきではなく、誹謗中傷行為の場にあった一般第三者の通常理解するところに従い、客観的立場に立って、社会的評価・信用が低下したかどうか判断すべきであると解するのが相当である。

3  そこで、前記第二の一2の事実、右1の事実および証拠(〈書証番号略〉)に基づいて吉本議員の本件委員会における発言の内容をその場にいた一般第三者たる傍聴人の見地に立って客観的に考察すると、右発言は、本件陳情者である原告を指向してなされたものとみられても仕方がないような内容で行われたといわざるを得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二争点2(本件発言行為の名誉毀損性)について

1(本件陳情に至る経緯)

前記第二の一の事実および証拠(〈書証番号略〉、証人吉本泰男、同吉本仲子〔一回、二回〕、同田村和子、原告本人〔一回、二回〕、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  市婦協は、神戸市の小学校校区毎に設けられた各婦人会で構成される上部組織であり、昭和二五年六月に結成された。土井芳子は、昭和三〇年五月に市婦協会長に就任し、同人は、その後三〇年以上同会長の地位にあり、その間、妹尾美智子は、市婦協の専務理事として土井会長を助け、右両名は、その間被告の厚い信頼を受けて被告の各種審議会の委員を委嘱され、神戸市長や神戸市議会議長と長く協調関係を保ってきた。右土井は、約一〇万名会員の頂点に立ち、名実ともに市婦協の実力者たる地位にあった。同人は、昭和三二年六月、市婦協内に婦人会館建設準備委員会を発足させ、被告は、これをうけて、同年一二月、神戸市立婦人会館(以下「婦人会館」という。)を開設し、昭和三九年四月、市婦協に婦人会館の運営を委託した。市婦協は、昭和四二年七月、その実行委員会である神戸市消費者協会(以下「消費者協会」という。)を結成した。その後、市婦協は、婦人会館の管理運営を格別の不都合もなく続けてきた。また、市婦協は、日頃、被告のため多大の貢献をしてきた。土井芳子と妹尾美智子は、昭和五一年一〇月一日、財団法人神戸婦人文化協会(以下「文化協会」という。)を設立し、土井が理事長に、妹尾が常務理事に、松重君予弁護士が監事に就任した。ところで、昭和四八年頃になって湊山婦人会の副会長に就任した吉本仲子は、日頃市婦協理事者による会の運営が非民主的で委託費の使途が不明であるとして疑惑をもち、批判的活動をしていたが思うような成果が上らなかった。そこで、吉本仲子は、本件委員会に実状を訴え、市婦協運営の流れを変えようと考え、楠谷婦人会の会長であった藤原セツとともに、昭和五一年頃、市婦協が神戸市から事業の委託を受け、約一億円の委託費を受取りながらその使途が不明であるとして、当時、神戸市議会議長であった吉本議員にその是正への支援を陳情に赴いた。その際、吉本仲子らは、応接室において吉本議員に面会し、主として同席した長鳴市民局長に対し、土井、妹尾を名指して市婦協運営の非を鳴らし、その改善を陳情した。しかし、吉本議員らは、婦人会館の運営については委託先の市婦協に申入れて内部において自ら改善のために活動するのが本筋であると助言するにとどめた。その際には、吉本議員の対応が好意的であったので、吉本仲子らも、不満をもつことはなかった。

(二)  昭和五五年二月二七日、神戸市消費者保護会議委員等を勤める松重君予弁護士が神戸市長あてに、市婦協と消費者協会の運営等、被告の消費者保護行政に関する公開質問状を提出したのを契機として、永井演子、田村和子らは、同年三月三日、同弁護士の活動を支援する目的で、「神戸市消費者行政を正す会」(「神戸市の消費者行政を正す会」と称することもある。―以下「正す会」という。)を事実上発足させた。

(三)  正す会は、同月七日、右公開質問状と同旨の内容をもって五五年の陳情を行なった。

(四)  同年三月、本件委員会で五五年の陳情が審査され、吉本仲子ら正す会の会員ら十数名がこれを傍聴した。

(五)  被告は、右審査の過程において、消費者協会に対する昭和五五年の委託費が約三六一四万円であること、消費者協会が市婦協と一体であること、被告が提唱する三者合意システムとは、消費者・企業・行政の三者の協力によって消費者問題を解決する方策であること、婦人会館の管理運営を市婦協へ委託することを適法と考えていることを明らかにした。

(六)  ところで、右委員会での審査が終了してから、委員であった吉本議員から、「婦人会の内部の問題をこんなところまで持ってきて迷惑である」旨の発言が、傍聴席にいた正す会の会員らに向かってなされた。

(七)  そこで、翌日、吉本仲子、藤田セツ、藤戸弘子(荒田婦人会会長)ら三名が、吉本議員の控室に赴いて吉本議員に抗議した。

しかし、右三名は、その際、足組みや喫煙等をすることはなかった。

(八)  昭和五五年四月一日、正す会は、市婦協のメンバーが消費者協会のメンバーを兼務しているので消費者協会は消費者団体としての実体を有せず、また消費者協会の幹部が文化協会の幹部と同一人物であり、文化協会が企業から多額の寄付金を受けている、従って、三者合意システム宣言は、真の消費者運動を阻害するもので、市民として納得できないとして市民の立場から有志で神戸市の消費者行政を是正することを目的として正式に発足した。

(九)  その後、間もなく、原告は、正す会に入会し、五六年の陳情をする等、正す会の会員として活動するようになったが、本件発言行為まで吉本議員と会ったことはなかった。

(一〇)  原告は、その後、同会を脱退し、自ら「め・め・め通信」と題するいわゆるミニコミ紙を昭和五九年七月一日から出すようになった。

(一一)  そして、原告も、市婦協が被告から事業の委託を受け、年間一億円にも達する委託費の支払を受けながらその使途が不明であると、また市婦協が被告から管理を委託されている公物たる婦人会館の部屋を民間団体にすぎない文化協会に対し、長年無償で使用させているとの疑惑をもち、その改善を意図して本件陳情を行なうにいたった。

2(本件陳情に関する審査およびその後の経過について)

証拠(〈書証番号略〉、原告本人〔一回〕)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件委員会における本件陳情に関する審査は第二の一2のとおり、山本教育長の説明、報告、これに対する尾崎委員の質疑、同委員の質疑に対する小西教育委員会社会教育部社会教育課長の説明があった後、尾崎委員の意見表明をもって始まり、吉本委員(議員)、松田委員、浜崎委員、永嶋委員、葛西委員のそれぞれ意見表明がなされた。

(二)  尾崎委員の意見は、本件陳情について、それぞれ意見表明はしているが、最終的には、事実関係が相当違うので花原委員長の方で本件陳情者と話し合って、出し直すならば再度事実関係に基づいた出し方をしてもらうのがよいというものであった。

(三) 右意見表明を受けて、吉本議員は、第三の一1のとおり意見表明しながらも、結論的には尾崎委員の意見に同調した。

(四)松田委員の意見は、本件陳情の中には、委員会として採り上げてよい事項もあるが、特に委員会で審査をせずとも当局の説明を陳情者がまとめることで解決できる内容が非常に多いというものであり、浜崎委員および永嶋委員の意見は、本件陳情は委員会の審査にはなじまないというものであった。

(五)  そして、以上の各委員の意見表明を受け、花原委員長は、吉田副委員長と協議の結果、正副委員長が本件陳情者らに会い、その意見を聞いて結論を出すことにした。

(六)  そして、正副委員長は、原告に会い、一応の説明をしたものの、とにかく取下げてもらいたいと要望するばかりであった。

(七)  そのため、原告は、これ以上何をいっても無駄と思い、要望に沿って昭和六一年三月一七日、内容不備の理由で本件陳情を取下げた。

3(本件発言行為の名誉毀損性)

(一)  名誉の意義、名誉毀損の判断基準については第三の一2で説示したとおりであるから、本件発言行為が原告の名誉を毀損するものであるかどうかについて、本件陳情に関する委員会での審査の雰囲気および吉本議員の発言内容全体並びに発言口調等を総合考慮した上で検討することとする。

(二)  なお、被告は、本件発言行為の名誉毀損性を判断するに際しては、フェアーコメント(公正な論評)の法理を斟酌すべきであると主張するけれども、フェアーコメント(公正な論評)の法理によって、名誉毀損行為について免責される場合があるのは格別、名誉毀損該当性の判断については、右法理の適用はないと解されるので、被告の右主張は理由がない。

(三)  そこで、右(一)で説示した法理に照らして検討するに、先ず吉本議員の発言内容を要約すると、「本件陳情を出した原告や田村さんには六、七年前に会ったことがあり、その時も本件陳情と同じようなことを言ってきた。その際、市婦協に対して外部から批判するだけでなく、内部から市婦協を改善するため努力するよう三、四時間かけて説得したが、たばこを盛んに吸って、足組みしながら、そういう話には配慮されないで、自分の意見ばっかり言われた。そして、あの流れはいかんいかんいうて、中には入らんわ、文句ばっかり言うわ、これはもう話してもとても通じる方やないと絶望した。そして、女の執念というのか、言い方悪かったら勘忍してほしいんですが、その時の陳情と同じようなことをまだ続けておられるということに感心をしている。特定の名前を上げて、それ憎しというような感じで受けれるような本件陳情は委員会審議にはなじまない」となる。

(四)  そうすると、右内容の発言を聴取した第三者にとって、吉本議員の発言は、本件陳情に関する委員会の審査の経緯に照らすと、「本件陳情は委員会審査にはなじまない」という点に主眼をおいており、派生的に自己の意見の正当性を補強ないし強調する意図をもって、正す会が五五年の陳情に際してとった言動であるとして、足組み、喫煙、意見の固執を述べたものと理解するのが通常であるということができる。

(五) 前記第三の二1(九)認定のとおり、原告は本件陳情までに吉本議員に会ったことがないから、「甲野さんいうんですか、この名前をね、こう六、七年ぶりにみるんですわ。」という同議員の発言は、客観的事実に反するものではあるが、証拠(証人吉本泰男)によれば、吉本議員は、原告や田村といった陳情者個人の言動を重視して同人らの悪印象を表現しようとしたものではなく、陳情団体である正す会の本件陳情が本件委員会において採択されることを阻止しようと考えていたことが認められる。

(六)(1)  女性が人と応対するに際して、足組みをしたり、喫煙したりすること自体、当時の社会通念に照らして考察しても、女性の名誉を毀損するものとは言えないが、男性にしても女性にしても、ある一定の時、場所、状況下でのそのような行為が、その人の品性等に対する社会的評価を低下させることがある場合があることもまた否定できない。

そこで検討するに、証拠(証人吉本泰男)によれば、本件発言行為における六、七年前の陳情の場(発言中の表現は〔うちの部屋〕)というのは、応接室と兼用していた被告議会内の議員控室であり、ビニール張りの長椅子が置いてある程度の部屋で、特に喫煙が禁止されていた場所でもなく(現に当時の陳情者の中にも、男女を問わず陳情中にたばこを吸う者がいた。)、ほとんど毎日のようにいろんな陳情者と応対する場所として利用され、陳情という公的色彩を帯びた状況下ではあるが、そのような場所、状況下で足組みをしたり、たばこを吸って応対していたとの表現が、仮に初対面であったとしても、当時の社会通念に照らし、原告の名誉感情等を害することがあるのは格別、原告の社会的名誉を毀損したとまでは評価できないものと解するのが相当である。

(2) そして、吉本議員の説得にもかかわらず、市婦協に対する不満やその理事者である土井・妹尾の個人攻撃ばかりを主張し、吉本議員にこれはもう話してもとても通じる方やないと失望感を抱かせるほどに自己主張に徹するとの表現も、市民の要望を被告議会に反映させる陳情というものの性質上、陳情者がこのような言動に出ても止むを得ない面があることに徴すると、そのこと自体でもって原告の社会的名誉を毀損するとも言えない。

(3) 加えて、六、七年前に説得したにもかかわらず、今回また同じようなことを陳情してきている女の執念の深さに感心しているとの表現も、その発言の都度、「言い方悪かったら勘忍してほしいんですが」と、ことわっていることに照らせば、それ自体も特に原告の社会的名誉を毀損したとも評価することもできない。

(七) 前記第三の二1の認定事実と証拠(証人吉本泰男)によれば、吉本議員の本件陳情に対する意見の根拠は、被告より市婦協への事業の委託の在り方、委託内容の変更というような大きな問題については、一市民ないし特定の市民団体の陳情によって決定すべきものではなく、各政党出身の議員によって構成される市議会において慎重に審議することが民主政治の理念に合致し、また市婦協の理事者の会務の運営の当否は、その違法・不当の確証の提示がない限り委託先の自治に委せるべきであって、むしろ陳情者は、自らその内部において是正のために活動すべきであり、従って、本件委員会においては本件陳情を審査すべきでないというにあり、合理性があるということができる。

(八) そして、正す会は、前記第三の二1認定のような目的をもって設立された市民団体であり、正当な市民運動を行なう団体であるから、第三者の面前において、原告がその構成員であり、あるいはその構成員であったこと、その同調者であると公表されたからといって原告の社会的名誉が低下するわけではない。

(九)  その他本件においては、吉本議員が本件陳情に対する意見表明に名を藉り、原告の個人攻撃に及ぶ等、その動機、目的において明らかに不当な発言行為をしたことを認めるに足りる証拠はない。

(一〇) 以上、検討したとおり、本件発言行為は、自己の意見の主眼とするところを導き、補強するためになされたものであり、そのための方法としては、いささか適切さを欠き、原告の名誉感情を害する面があるのは格別、原告の社会的名誉を毀損したとまでは言えないと解するのが相当である。

(一一)  従って、原告の名誉毀損を理由とする本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

三争点3(請願権の侵害性)について

(一)(1)  陳情とは、国や地方公共団体の機関に対し、一定の事項について、その実情を訴え、適当な措置を要望する事実上の行為を言うところ、住民の要望を地方議会に反映させる手段であるという点では、請願権とともに重要な意義を有するものである。

(2) しかし、請願権が憲法によって保障された基本的人権の一つとして(憲法一六条)、また法律上の権利として(請願法、地方自治法一二四条、一二五条)行使されるのに対して、陳情は事実上の行為であり、両者を全く同一に論じることはできず、また、陳情を受けた当局が、陳情内容に拘束されたり、なんらかの処理をすべき法的義務を課せられたりする性質のものではない。

(3) 従って、陳情をもって請願と同視することはできないから、陳情に関する権利が請願権にあたるとする原告の本訴請願権侵害を理由とする損害賠償請求は、その前提を欠くものといわなければならない。

(二) さらに、吉本議員の本件発言行為が原告に対する名誉毀損にあたらないことは右二で判示したとおりであり、かつ前記第三の二2認定の本件委員会における本件陳情に関する審査の経緯、結論、陳情の取下げにいたる経緯に徴すると、吉本議員を含む本件委員会には、陳情を誠実に処理すべき職務上の義務に違反して本件陳情を誠実に処理しなかった違法があるということはできない。

(三) また、原告は、前記第三の二2認定のとおり、任意に本件陳情の取下げをしたもので、本件発言行為によって原告がその取下げをしたものではない。

(四)  従って、原告の請願権侵害を理由とする本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当である。

(五)  なお、被告は、原告が追加した請願権侵害の主張を時機に遅れた攻撃防御方法(民事訴訟法一三九条一項)である旨、主張するので判断するに、原告が訴提起の時点から主張している名誉毀損に基づく損害賠償請求権と事後的に追加された請願権侵害に基づく損害賠償請求権とは訴訟物を異にし、単なる攻撃防御方法の追加ではなく、訴えの変更(請求原因の追加)(同法二三二条一項)と解すべきものであり、請求の基礎が同一で訴訟手続が著しく遅滞するとの事情も見受けられない本件においては、被告の主張は採用できない。

四結論

よって、原告の本訴各請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

(裁判長裁判官辰巳和男 裁判官奥田正昭 裁判官山田整)

別紙(一)謝罪文〈省略〉

別紙(二)昭61年2月28日の神戸市会文教経済委員会における陳労二八三号「婦人会館の運営等に関する陳情」に関する記録〈省略〉

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